投稿

10月, 2011の投稿を表示しています

「左手一本のシュート」田中さん講演お知らせ

イメージ
いつかこの本のことは書きたいと思っていました。



外来患者さんに教えてもらった本です。






この本の主人公である田中さんが、11月5日(土)に山梨に講演に来ます。



外来患者さんにお伝えすると、ぜひ行きたいとのことで、

職員と患者さんとで一緒にいこう!と話がまとまりました!




他の外来患者さんもぼくの本を借りて読んでくると言っていました。








ぼくらは、目の前の患者さんから教えて頂くことが沢山あります。




患者さんも他の患者さんから学ぶことが多いと感じているようです。







ぼくらは、互いに成長している途中のようにも思います。




自分の未熟さ、不足を感じながらも、




一緒に、ともに生きる術を学んでいきたいと思います。








ぜひ興味のある方は・・・






以下、主催(笛吹市)からのご案内です。

講師の田中氏は、県立日川高校入学直前に脳出血で倒れ、「二度とバスケットボールはできないだろう」と宣告されました。しかし、常に前向きな気持ちを失わず、右半身麻痺から復活し再びコートに立つことができました。
このことは、ノンフィクション『左手一本のシュート』にて描かれています。
申し込みは不要です。どなたでもご参加できます。

■日時
11月5日(土曜)
午後7時30分~午後9時
■場所
いちのみや桃の里ふれあい文化館
■講師
田中正幸氏
■主催
笛吹市青少年育成推進協議会
■問合せ先
笛吹市教育委員会生涯学習課
TEL:055-261-3339







以下は、本の紹介です。



死の淵から生還。バスケ少年の復活シュート

希望あふれる高校入学式の3日前。県下No.1のバスケット選手・田中正幸15歳を、脳動静脈奇形による脳出血という悲運が襲った。もうバスケットは無理…その宣告を覆し、正幸は絶望の底で夢を心に誓う。「再び試合のコートに立ってみせる!」。そんな夢が、そして強い意思が、驚愕の復活を生んだ。
高校3年最後の試合。残り3分32秒。悲願の試合に出場コールされる。まだ麻痺の残る走り。右手は上がらない、利き手ではない左手一本だけでシュート。見事きまった! 泣き崩れるベンチ、チームメイト、相手チームの応援席までもが割れんばかりの拍手を送った。そうして、チームの夢、インターハイ出場の切符をも掴んだ…。
本書はこの、1167日に及ぶ涙の軌跡である。
家族、仲間、医師、チームの顧問、学校の先生…みなが一丸となって、「正幸をコートへ」…

「生き様」 限りある時間をどうするか

先日、「余命1カ月の花嫁」を久しぶりに観ました。


ぼくは、息子が生れてから涙もろくなってしまったので、


間違いなく自分の感情を揺さぶるであろう刺激を

あえて控えていました。



テレビのニュースでも、切なくなったり、心が痛くなって、



避けることもあります。




日々の生活のなかでも十分に、



悩んだり、悲しかったりしているのに、



これ以上、感情を揺さぶらないでよ!

と「余命1カ月の花嫁」のDVDを借りてきた奥さんに対して思っていました。






そんななか、ある大学の先生から終末期の事例について


授業で話してほしいと依頼されました。




いろいろと思いだしているうちに、







ぼくは、2年前に出会った患者さんが忘れられないのだと気付きました。






死ぬのが怖い自分、


死を目の前にしている患者さん。





毎回、病室に入るのに勇気がいりました。






でも、ふと「自分も精一杯いまを生きよう。」と決意してからは、


自然と向き合えるようになりました。






力不足を恥じたり、不安に思ってないもできないより、


いまできることを最大限やること、



をその患者さんから教えてもらいました。






患者さんが精一杯生きている



そして、自分も精一杯生きている




合わさったらなにか生まれるんじゃないかと。





それが、自分が「相互交流」を大切にする原点であるように思います。










また、新しい命を授かりました。








限りある時間のなかで、



夢をみて、





いまあるものに感謝し、







いま生きている時間を、「前向きに」そして「楽しく」





一生懸命生きることを相互交流して、



互いにとって意味のある時間にしていくこと




そんな生き方がぼくはしたいと思う今日この頃でした。







みなさんは、どんな生き様が自分らしいですか??









あとがき・・・


昔、自分の父親が好きな言葉は「一所懸命」だと言っていました。



自分は「一生懸命」が、とても大切な言葉のうちのひとつになっています。不思議ですね。