もう3月も終わろうとしていますね。
昨年育児休暇をもらって、ちょうど1年がたちます。
息子ももうすぐ2歳になりますが、こどもの成長って早いなぁと感じています。
いつの間に??
どこで覚えたんだ??
ということがよくあります。
こどもがいろんな経験を通して、変化している姿をみるのはとても楽しいです。
さて、最近、学んだことがありました。
ある患者さんの退院前指導ということで、入院担当の作業療法士と、自分(在宅担当の作業療法士)で一緒に自宅へ伺いました。
入院担当の評価では、病院ではお風呂もできているし、これならなにも使わなくてもできる。という判断でした。
たしかに、自宅でもなんとか自力でできそう、でした。
そして、退院して、自宅へ帰ってみると、
一人で入ってみたけど、なんとかできたが、怖かった。そしてそれを家族に言ったら、
なんで一人で入るんだと怒られた
というのです。
その後、訪問リハで関わっているので、福祉用具を試してみるということで調整に入りました。
やはり病院では、あくまでも想像で、
退院前の指導でも、あくまでも想定で、
実際にやってみてわかることというのは、
とても説得力があるし、本人や家族にとってもそれがスタートになるということを
痛感した事例でした。
また、
その方は、入院担当にも、家族にも、「自転車はダメだ」と言われていたんですが、
こっそりやってみたそうです。
でも、家族に言うと怒られるから、言わないそうです。
・・・ちなみに、やってみて、まだ怖いからやらないという気持ちになったそうです。
ある方は、自宅での歩行は危険だから、這って移動してくれと、入院担当や家族につよく言われていた方も、
こっそり、自宅の階段を昇ってみた
(結果、昇れたが降りれなくて家族に手伝ってもらった・・・)
というエピソードや、
とある方は、家族には内緒で、こっそり車に乗ってみた
というエピソードを聞きます。
いずれも、言うと怒られるから(やってみることができないから)
とおっしゃいます。
つまり、退院して、さあいよいよ自宅での生活がスタートだ
というときに、
多かれ少なかれ、以前とはちがう自分がどれくらいできるか、
やってみる(試行錯誤)をしたいと思うのは自然なことです。
しかしながら、これは危ないからダメ、これはできないだろうからダメ
と、専門家(医者や作業療法士など)や家族から言われます。
そうすると、その制約を守ろうとすれば
やってみること(試行錯誤)の機会すらもてないのです。
ひとは経験によって、能力の自己認識(自分はこれができるとかできないとか)する
やってみて初めて分かるものだと思いますが、
患者さんにありがちなのは、危ないからなどの理由で制約をされることです。
つまり、やってみるという権利が、意外と保障されていないということです。
やってみること(試行錯誤)の機会が少なければ少ないほど、
自分がどれくらいできるのか、逆にこれ以上は危険であるとか、
そういう自己管理能力を奪われてしまうということです。
よく、ブランク(やらない機会)が長いと、復帰するのがおっくうになったりします。
久しぶりにやるのは、怖いと感じるかもしれません。
しかしながら、そうすると結果、できる(できる可能性がある)にも関わらず、
やれなくなったと思いこんでしまい、
自分にはできないから、やらない
やらないから、やることが減ってくる
やることが減るとますます、能力を自己認識する機会がもてない・・・
という悪循環になってしまうことが考えられます。
ということで、やってみなくちゃわからないし、
やってみる(試行錯誤)ということは、ときに失敗も含みますが
それでも、たくさんしたほうがいいということです。
ただし、実際にはこっそりやってらっしゃるというのが多いと思います。
失敗するかもしれないけど、やってみたいんだ、ぜひ試したい!
と高齢者が家族(子供たち)になかなか言えない、
むしろ、迷惑をかけたくないとか、そういう気持ちを持たれるのが日本人の特性かな
と思います。
試行錯誤するというのは、とても主体的な活動であると思います。
こっそりやるにはもったいないと思うのです。
だから、
第三者である、ぼくら(作業療法士)は、
退院後の患者さんの「こっそりやってみたい」という気持ちに寄り添って
これならできそう(可能性)や、具体策(方法)を提案していきたいと思いました。
昨年育児休暇をもらって、ちょうど1年がたちます。
息子ももうすぐ2歳になりますが、こどもの成長って早いなぁと感じています。
いつの間に??
どこで覚えたんだ??
ということがよくあります。
こどもがいろんな経験を通して、変化している姿をみるのはとても楽しいです。
さて、最近、学んだことがありました。
ある患者さんの退院前指導ということで、入院担当の作業療法士と、自分(在宅担当の作業療法士)で一緒に自宅へ伺いました。
入院担当の評価では、病院ではお風呂もできているし、これならなにも使わなくてもできる。という判断でした。
たしかに、自宅でもなんとか自力でできそう、でした。
そして、退院して、自宅へ帰ってみると、
一人で入ってみたけど、なんとかできたが、怖かった。そしてそれを家族に言ったら、
なんで一人で入るんだと怒られた
というのです。
その後、訪問リハで関わっているので、福祉用具を試してみるということで調整に入りました。
やはり病院では、あくまでも想像で、
退院前の指導でも、あくまでも想定で、
実際にやってみてわかることというのは、
とても説得力があるし、本人や家族にとってもそれがスタートになるということを
痛感した事例でした。
また、
その方は、入院担当にも、家族にも、「自転車はダメだ」と言われていたんですが、
こっそりやってみたそうです。
でも、家族に言うと怒られるから、言わないそうです。
・・・ちなみに、やってみて、まだ怖いからやらないという気持ちになったそうです。
ある方は、自宅での歩行は危険だから、這って移動してくれと、入院担当や家族につよく言われていた方も、
こっそり、自宅の階段を昇ってみた
(結果、昇れたが降りれなくて家族に手伝ってもらった・・・)
というエピソードや、
とある方は、家族には内緒で、こっそり車に乗ってみた
というエピソードを聞きます。
いずれも、言うと怒られるから(やってみることができないから)
とおっしゃいます。
つまり、退院して、さあいよいよ自宅での生活がスタートだ
というときに、
多かれ少なかれ、以前とはちがう自分がどれくらいできるか、
やってみる(試行錯誤)をしたいと思うのは自然なことです。
しかしながら、これは危ないからダメ、これはできないだろうからダメ
と、専門家(医者や作業療法士など)や家族から言われます。
そうすると、その制約を守ろうとすれば
やってみること(試行錯誤)の機会すらもてないのです。
ひとは経験によって、能力の自己認識(自分はこれができるとかできないとか)する
やってみて初めて分かるものだと思いますが、
患者さんにありがちなのは、危ないからなどの理由で制約をされることです。
つまり、やってみるという権利が、意外と保障されていないということです。
やってみること(試行錯誤)の機会が少なければ少ないほど、
自分がどれくらいできるのか、逆にこれ以上は危険であるとか、
そういう自己管理能力を奪われてしまうということです。
よく、ブランク(やらない機会)が長いと、復帰するのがおっくうになったりします。
久しぶりにやるのは、怖いと感じるかもしれません。
しかしながら、そうすると結果、できる(できる可能性がある)にも関わらず、
やれなくなったと思いこんでしまい、
自分にはできないから、やらない
やらないから、やることが減ってくる
やることが減るとますます、能力を自己認識する機会がもてない・・・
という悪循環になってしまうことが考えられます。
ということで、やってみなくちゃわからないし、
やってみる(試行錯誤)ということは、ときに失敗も含みますが
それでも、たくさんしたほうがいいということです。
ただし、実際にはこっそりやってらっしゃるというのが多いと思います。
失敗するかもしれないけど、やってみたいんだ、ぜひ試したい!
と高齢者が家族(子供たち)になかなか言えない、
むしろ、迷惑をかけたくないとか、そういう気持ちを持たれるのが日本人の特性かな
と思います。
試行錯誤するというのは、とても主体的な活動であると思います。
こっそりやるにはもったいないと思うのです。
だから、
第三者である、ぼくら(作業療法士)は、
退院後の患者さんの「こっそりやってみたい」という気持ちに寄り添って
これならできそう(可能性)や、具体策(方法)を提案していきたいと思いました。
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