「そもそも忙しい臨床業務の合間を縫って、論文投稿する価値があるの?」
「したいけどどうしたら良いかわからない??」
など臨床家が論文投稿することへの疑問は多々あると思います。
とりわけ、臨床家で論文を書いている人が身近にいないと、論文投稿ってほんとーに違う世界のようにも感じますよね。
僕が自分の後輩たち伝えたい意見としては、
ガンガン論文投稿するまでとは行かなくとも、ぜひ、作業療法士人生の中で一回、自分の大切にしているテーマで論文投稿にチャレンジして欲しいなと思っています。
って言ってる僕自身も論文投稿初心者ですので、ずーっと先に行っているわけではなく、後輩たちの半歩先に行っている立場から書いています。
ということで、論文投稿初心者の立場から、臨床家が論文投稿を行うための一つの参考として、以下のA-Dに分けて私見をまとめました。
A. なんで論文投稿するの?
B. モチベーションはどこにあるのか?
C. どうやって投稿するのか?
D. どこの雑誌に投稿するのか?
前編(AとB)と後編(CとD)の2回に分けて紹介します。
A. なんで論文投稿するの?
この問いに対して、僕が臨床家が論文投稿する意義をすごく単純化すれば、「関心のあるテーマについて意見交換するため」だと思います。
「え?そんなこと・・・」と思われるかもしれませんが、意見交換はとても大切だと思います。
僕が新人の時代にはよく先輩たちに連れられて飲み屋さんでいろんな話を聞いたりしました。そこでは、普段聞けないような先輩たちが大切にしているテーマに関してや、その考え方について学びました。
自分の考え方は他者の考え方と交換しあうことで、考え方も変化していくと感じます。
ずーっと同じ考え方をしていくことを好む方もいるかと思います(?)が、僕はいろんな人の考え方を知って、自分の考え方が変わっていく方が楽しいと感じます。
飲み屋でも身のある話はできますが、お酒で忘れてしまったり(!)、内輪の議論に止まってしまいがちです(飲み会でしか話せない内容もあるとは思いますが)。
論文化は、内輪の話に止まらず、いろんな方との意見交換が可能となる一つの方法であると思います。
とりわけ、学問の領域では、経験年数や言語を超えて、いろいろな方々と意見交換できる世界が広がっているように思います。
B. モチベーションはどこにあるのか?
論文投稿に向けて、その過程をひとつひとつ遂行するための持続的なモチベーションは重要だと思います。やり抜くんだというある種の覚悟が必要だと思います。じゃあそのモチベーションはどこから湧いてくるんだ?と疑問が出てくると思います。
結論から言うと、自分なりの何かしらの強い動機が必要だと思います。これは、純粋に学問を追求する気持ちや、協力してくださった方への感謝など。そもそも自分は何のために論文を書くのか?その気持ちを自分の中ではっきりさせてから取り組むことで情熱が持続できると思います(これはきっと、大学院などの進学を検討されている方にも同じことが言えると思います)。
もちろん、研究する前提に論文化することが挙げられるかと思います。論文化は責務であるという考え方もできるかと思います。しかし、学会発表などを聞いていると、論文化をはじめから見据えて行っていないように思える演題もありますし、論文化したらいいのになと思うこともあります。もっと柔軟に論文投稿の判断をしてよいではないかと思います。
風林火山の論文の場合も最初から論文化しようとは考えていませんでした。しかし、自分自身とても貴重な経験をさせてもらったので、シェアしたいと言う気持ちと、協力してくださった方々への感謝の気持ちが強くなり、思い切って初めての論文投稿に挑戦しました。ここでは、本当に論文化に値するのかがわからなかったのですが、運良く、学会で受賞できたことが後押しになりました。
また、この論文は学会発表をベースにしたものでした。いざ論文化となると、学会でプレゼンしたときよりも、もっと必要な情報があることや、よりよい表現の仕方があることを学びました。こうした論文化の過程で学びが得られることも、自分が論文化したいと思うモチベーションのひとつになっているかもしれません。
後編に続きます。
「したいけどどうしたら良いかわからない??」
など臨床家が論文投稿することへの疑問は多々あると思います。
とりわけ、臨床家で論文を書いている人が身近にいないと、論文投稿ってほんとーに違う世界のようにも感じますよね。
僕が自分の後輩たち伝えたい意見としては、
ガンガン論文投稿するまでとは行かなくとも、ぜひ、作業療法士人生の中で一回、自分の大切にしているテーマで論文投稿にチャレンジして欲しいなと思っています。
って言ってる僕自身も論文投稿初心者ですので、ずーっと先に行っているわけではなく、後輩たちの半歩先に行っている立場から書いています。
ということで、論文投稿初心者の立場から、臨床家が論文投稿を行うための一つの参考として、以下のA-Dに分けて私見をまとめました。
A. なんで論文投稿するの?
B. モチベーションはどこにあるのか?
C. どうやって投稿するのか?
D. どこの雑誌に投稿するのか?
前編(AとB)と後編(CとD)の2回に分けて紹介します。
A. なんで論文投稿するの?
この問いに対して、僕が臨床家が論文投稿する意義をすごく単純化すれば、「関心のあるテーマについて意見交換するため」だと思います。
「え?そんなこと・・・」と思われるかもしれませんが、意見交換はとても大切だと思います。
僕が新人の時代にはよく先輩たちに連れられて飲み屋さんでいろんな話を聞いたりしました。そこでは、普段聞けないような先輩たちが大切にしているテーマに関してや、その考え方について学びました。
自分の考え方は他者の考え方と交換しあうことで、考え方も変化していくと感じます。
ずーっと同じ考え方をしていくことを好む方もいるかと思います(?)が、僕はいろんな人の考え方を知って、自分の考え方が変わっていく方が楽しいと感じます。
飲み屋でも身のある話はできますが、お酒で忘れてしまったり(!)、内輪の議論に止まってしまいがちです(飲み会でしか話せない内容もあるとは思いますが)。
論文化は、内輪の話に止まらず、いろんな方との意見交換が可能となる一つの方法であると思います。
とりわけ、学問の領域では、経験年数や言語を超えて、いろいろな方々と意見交換できる世界が広がっているように思います。
B. モチベーションはどこにあるのか?
論文投稿に向けて、その過程をひとつひとつ遂行するための持続的なモチベーションは重要だと思います。やり抜くんだというある種の覚悟が必要だと思います。じゃあそのモチベーションはどこから湧いてくるんだ?と疑問が出てくると思います。
結論から言うと、自分なりの何かしらの強い動機が必要だと思います。これは、純粋に学問を追求する気持ちや、協力してくださった方への感謝など。そもそも自分は何のために論文を書くのか?その気持ちを自分の中ではっきりさせてから取り組むことで情熱が持続できると思います(これはきっと、大学院などの進学を検討されている方にも同じことが言えると思います)。
もちろん、研究する前提に論文化することが挙げられるかと思います。論文化は責務であるという考え方もできるかと思います。しかし、学会発表などを聞いていると、論文化をはじめから見据えて行っていないように思える演題もありますし、論文化したらいいのになと思うこともあります。もっと柔軟に論文投稿の判断をしてよいではないかと思います。
風林火山の論文の場合も最初から論文化しようとは考えていませんでした。しかし、自分自身とても貴重な経験をさせてもらったので、シェアしたいと言う気持ちと、協力してくださった方々への感謝の気持ちが強くなり、思い切って初めての論文投稿に挑戦しました。ここでは、本当に論文化に値するのかがわからなかったのですが、運良く、学会で受賞できたことが後押しになりました。
また、この論文は学会発表をベースにしたものでした。いざ論文化となると、学会でプレゼンしたときよりも、もっと必要な情報があることや、よりよい表現の仕方があることを学びました。こうした論文化の過程で学びが得られることも、自分が論文化したいと思うモチベーションのひとつになっているかもしれません。
後編に続きます。
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